市民社会をつくるボランタリーフォーラムTOKYO 2020

脳損傷による遷延性意識障がい者と家族の会「わかば」

今回は、脳損傷による遷延性意識障がい者と家族の会「わかば」の藤岡香栄さん、横山恒さん、武藤光行さんにお話を伺いました。


遷延性意識障がいについて

――「遷延性意識障がい」とはどのような状態なのか、教えてください。

藤岡さん

食事、排泄、移動が自力でできず、コミュニケーションを取ることが難しく、医療的ケアを常に必要とする状態です。その中にも、いわゆる「植物状態」と「最小意識状態」に分けられます。後者は、体の部位を動かすことで最低限の意思表示ができる状態です。さらに回復する過程で「高次脳機能障がい」へ移行する方もいらっしゃいます。遷延性意識障がいの主な原因には、交通事故等による脳損傷、脳梗塞などの脳血管障がい、心疾患や医療過誤などによる低酸素脳症があります。全国で約5万5千人の患者がいると言われています。かつては、「植物状態」と呼ばれることが一般的でしたが、どんな状態でも本人の意思がなくなるわけではないし、私たちは「遷延性意識障がい」という言葉で社会に知ってもらえるように願っています。


それぞれの家族のお話

――皆さんのご家族のお話を聴かせていただけますか。

藤岡さん

私の母は、2011年9月に突然、勤務先でくも膜下出血を発症して倒れ、病院に救急搬送されました。脳の手術自体はうまくいきましたが、その後、高熱が続いて、意識がわからなくなりました。病院には長くいられないため、病院や老人保健施設でリハビリをしましたが、目立った改善がなく、2014年に有料老人ホームに入居しました。遷延性意識障がいの場合、気管切開や胃ろうをしている方が多く、医療行為が必要になるため、施設を探す上でネックになることもあります。また、母のように意識障がいがあると、居室の中でじっと過ごすことがメインになりがちですので、家族が毎日通って声かけをし、車椅子に移して、ゼリーやヨーグルトを食べさせていました。好きな音楽を聞いてにっこりしたり、声のするほうに目線を向けたりしてくれたときは嬉しかったです。その間、予想外だったのは、新型コロナの感染拡大が始まり、面会ができなくなったことです。まったく会えない期間が数カ月単位で続いたのですが、感染したら危険ということもよくわかるので、本当にもどかしかったです。ようやくコロナ禍が明けて毎日会えるようになったときには、身体の拘縮がかなり進んでいて、口からの飲み込みも難しくなっていました。それでも家族が通い、体をほぐすマッサージをしたり、痰吸引をしたり、口の中をきれいにしてうまく息ができるようなリハビリを続けていたのですが、2024年5月に他界しました。施設の助けもあって、なんとか14年間、生きてくれたと思っています。どんな状態になっても、周りに愛されて穏やかに生きられることを教えてくれた時間でした。

藤岡さん




横山さん

私は娘(長女)の話になります。自転車で横断歩道を渡っていたところ、わき見運転のトレーラーにはねられて救急病院へ搬送されました。1999年12月30日のことでした。元日の朝、病院から富士山が綺麗に見えて、「これは絶対良いことあるよ」と話していたのを覚えています。それから26年が経ち、今では最小意識状態まで改善して字も書けるようになりました。最初はじっと一点を見つめているだけだったのですが、事故から1年くらい経った頃、病室へ行くと、娘が待っていたようにこちらを見ているということがありました。そこで、私も何かやってやろうとベッドの前でわざとラジオ体操をしてみたところ、「グフッ」と笑ったんですよ。「やった!」と思いました。あきらめないぞという気持ちになりました。遷延性意識障がいの場合、半年を過ぎたらリハビリテーションの効果がないと言われて、多くの病院では寝かせきりになりがちです。集中的にリハビリができる場所はそれほど多くありません。娘の場合、自宅を少し改修して在宅で生活していた時期もありましたが、家では刺激も少なくなりがちです。そのために、いろいろな病院や施設を転々としました。


――リハビリができる環境があることが大事なのですね。

3か月ほど入院していたリハビリの専門病院では、電動車椅子を勧められました。最初は、私が目の前に立って「ストップ!」と言っても平気で足を轢いてきたりしましたが(笑)。普通の車椅子では介助者の都合でどこへ向かうかが決められてしまいますが、電動車椅子だと本人が自分で意思決定できることが大きいです。その病院へ行ってから娘の動きに積極性が出てきました。本人なりに何か気づくものがあったのだろうと思います。今は、障がい者支援施設で暮らしています。まわりは高次脳機能障がいの人がほとんどですが、お祭りやイベントなどがあって刺激も多く、笑顔がたくさん出るようになり、楽しく過ごしているようです。私たち家族も通いやすいように施設の近くへ引っ越すことにしました。

横山さん




武藤さん

私たち夫婦は1989年に結婚して、翌年の10月5日に妻が出産したのですが、そのときに医療事故があり、17分間呼吸が停止しました。妻と生まれたばかりの娘は、別々の病院に救急搬送されましたが、医師からは、妻は回復することはない、と言われました。当時、函館に住んでいましたが、東京の病院で電気刺激治療を受けることになりました。それでも、しばらく意識が回復しない状態が続きました。遷延性意識障がいでも、特に低酸素脳症の場合は1年で亡くなるケースが多いそうです。長くて3年、5年経てば生存率は0%と言われたのを覚えています。それでも、決してあきらめずにやってきたのですが、3年経ったある日、テレビで志村けんのお笑い番組をやっていて、妻が笑い出す場面があったのです。それを見た看護師が担当医師に伝えたところ、「遷延性意識障がいの人が笑うなんて絶対にありえない」と信じてもらえなかったそうです。ところがその後、その医師が病室にいるときに妻が笑っているのを見て、医師は驚きながらも納得したという話があります。かつては、「遷延性意識障がいは治らない」ということが常識になっていました。今は、脳波を機械で測定することで、患者に意識があることが科学的にも証明されつつあります。自分では意思を表出できず意識が閉じ込められる状態があるということを、医療従事者をはじめ、皆さんにもっと伝えていかなくてはと思っています。また、リハビリなど治療をすればまだまだ回復する可能性があることも訴えていきます。


――食事はどうされていますか?

当初より口から食事を摂ることは厳禁でしたが、私の要望を担当医師が受け入れてくれ、少しずつリハビリをしてきました。そのおかげで、経口で食べられるようになりました。今でも胃ろうはしているものの、3食、私の介助で口から食事をとっています。もともと、妻は食べることが大好きでしたので、そのことが生きる喜びにつながっているようです。29年の入院の後、今では在宅生活を続けて7年になります。私は会社を辞めて介護にあたっています。週4回定時にヘルパーさんが来てくれて、週3回はデイサービスへ通っていますが、夜は私がみています。というのも、結婚して1年後に起きた事故でしたので、気持ちはずっと新婚のままなのですよね(笑)。夕方から朝まで家族以外の人が家にやってくるということはありません。なので、その時間帯はゆっくり食事をするなど家で過ごす時間を大事にしています。

武藤さん




家族の思い

――事故の後は介護と育児の両方をなさってきたのですね。

武藤さん

子育ては初めての経験でしたので大変でした。とくに娘は元気だった頃の母親を知らないし、最初はお互いが「あなた誰?」というような顔をしていました。娘にも葛藤があったと思います。それでも、妻を在宅で介護するようになってから、「お母さん、会社行ってくるよ」と声をかけるようになって2人の関係も少しずつ変わってきました。


横山さん

事故に遭った本人はもちろん大変なのですが、家族もとても影響を受けています。うちは娘が2人いて、妹(次女)は社会人なのですが、職場で昼休みが一番つらいそうです。まわりの皆が楽しそうにおしゃべりしているのに、自分は同じように楽しく過ごせないというのです。もちろん、周りは何も悪くないのだけど、しんどい思いを抱え続けている家族は少なくありません。家族に対するケアはまだ十分とはいえないです。


藤岡さん

健康だった人がある日突然、まるっきり変わった状態になってしまうのが、遷延性意識障がいの大きな特徴です。ゆるやかに病気が進行するのではなく、突然絶望の淵に立たされるので、以前の状態を取り戻したいという家族の切実な思いは強いのです。私も母親が発症してから数年ちかく毎日泣いていました。外では笑っていても、家に帰るとつらい思いをしている家族も多いのです。


横山さん

先が見えないのは、「親なき後」のことです。在宅ではヘルパーが1日中付き添ってくれるわけではないし、今は私が長女の成年後見をやっていますが、この先、誰に任せればよいのか、家族の代わりになるような公的な仕組みが充実しているわけではありません。先ほど、家族で娘の施設の近くに引っ越したとお話しましたが、会いに行くのは週1回くらいで、逆にそれ以上は行かないようにしています。この先を考えると、いつかはそのときがやってくるはずだし、家族だからできることを施設の人にも理解してもらいたいし、そのことを本人にもわかってもらう必要があると思うからです。



セルフヘルプとしての家族会

――「わかば」の活動について教えてください。

藤岡さん

1998年7月に、遷延性意識障がいの患者を持つ家族が互いに励まし、助け合うことを目的に活動が始まりました。当初は10名ほどでしたが、現在は首都圏を中心に250名ほどの会員がいます。会の活動としては、家族がお互いの思いをゆっくり語り合えるよう、2か月に1回、ランチ会を開催したり、年3回ほど学習会を開いて、家族が必要な知識を得られる場を設けています。また、介護で外出が難しい家族もいらっしゃるので、会報を年2回発行して、学習会の内容や会員からの近況報告など情報の共有も大切にしています。


武藤さん

「わかば」に参加してびっくりしたのは、家族の人たちは悲しい気持ちを抱えて大変な状態なのに、みんな笑顔なんですよ。私も後で気づいたんですが、そのような場がほかにないのですよね。自宅で話す相手もいないし、感情を出す機会もない。それでも、家族会に行くと悩み事も打ち明けることができるし、笑顔になれる。ポジティブであきらめない気持ちにもなれる。治療法は無いと言われている中、最新の治療法などについての勉強会も定期的に開催される場です。


藤岡さん

私は母が倒れて数年経ってから、「わかば」のホームページにたどり着きました。遷延性意識障がいの場合、配偶者、子ども、親など、患者が多世代にわたっていることが特徴ですが、ずっと自分の家族のことを考えているだけでなく、違う立場の方の話を聴くことで新しい学びがあります。あと、家族を看取った人たちが会の運営に少しでも役立てるようにと、そのまま会員として活動に参加する特徴もあります。お互いの状況を尊重しながら、あきらめない気持ちをもって、孤立しないようにゆるくつながることを大事にしている場だと思います。


ランチ会




人間として大事にされる場を

――皆さんからのメッセージがあればお願いします。

横山さん

当事者への治療やリハビリなどはこれまでもずっとやってきましたが、家族の負担をどうしたらよいのかとか、親なき後をどうするとか、講演会を開催しても、その会限りのものとして流れてしまいます。やはり公的なシステムとして考えてもらいたいと思っています。


武藤さん

最新の脳波実験により、脳波を読み取ることで、妻に意識があることが科学的にもわかったのですが、そのことをかつて入院していた病院の看護師に伝えたところ、妻に「ごめんね」と何度も謝っていました。入院中、妻はふつうの人として扱われてなかったのでしょう。遷延性意識障がいに限らず、病院で寝たきりになっている人はたくさんいますが、それでも人として生きる権利を持っていて、きちんとケアを受ける必要があると思います。


藤岡さん

やはり、希望を捨てないことだと思います。さまざまな五感への刺激を受けて、あるとき意識が反応を見せることがあります。何もできないから安静にしておくのではなく、朝起きて、音楽を聴いたり、人と交流したりして、夜は眠るという、人間として大事にされながら心地良く過ごせる場所があることを望みます。私自身、母が遷延性意識障がいになるとは思ってもいませんでした。他人事ではなく、誰しもそのような状態になり得るということを知ってもらえたらと願っています。



脳損傷による遷延性意識障がい者と家族の会「わかば」

不慮の事故や病気などの脳損傷による遷延性意識障がい者と家族が、互いに励まし合い、助け合い、少しでも支えになることを願い、1998年から活動しています。


キーワード 遷延性意識障がい、脳損傷、交通事故、リハビリテーション、介護者なき後、きょうだい

運営メンバー 遷延性意識障がい者の家族

活動内容 学習会、ランチ会の開催、会報の発行など

参加できる人 遷延性意識障がい者とその家族

活動エリア 東京近郊 集まれる場 あり

連絡先 wakaba.office2025@gmail.com

Webサイト https://wakaba-senensei.com/


インタビュー:金井聡(相談担当)高橋真悠、荻野亜蘭(編集部)

* 『ネットワーク』400号より(2026年3月発行)